僕が受験したころは、分離分割方式という受験制度になっていて、同じ大学を前期と後期両方受けられるようになった最初の年でした。
センター試験の成績がよかったので、前期日程を第一志望の京都大学にして、後期日程を東北大などセンター試験の結果も足される大学へ出すという戦略もあったと思います。
しかし、受験を、
「1年間、高いモチベーションで努力し続けることができるかどうか、自分を試すためのイベント」
と位置づけていたので、前期、後期とも第一志望の京都大学に出願しました。
前期日程では、国語、物理、化学は、そこそこできたものの、数学と英語では、またしても壁に跳ね返された感じがありました。
結果は、不合格
後期日程は、受験科目が数学、英語、物理、化学と得意科目の国語がなくなることと、全国の数学が得意な受験生が一発逆転を狙って集まるため、僕のような総合力で勝負のタイプは苦しくなることが予想されました。
ただ、このときは、早稲田に合格していたこともあり、とにかく、最後の1日まで自分の力を伸ばすことに集中しようと思いました。
どんな問題が出題されたのか、全く覚えていません。
後期日程も不合格になり、僕の大学受験は終了しました。
慶応大学からは、繰上げ合格の通知が来ました。
でも、もう心は決まっていました。
早稲田で物理を勉強して、理論物理学者になろう。
理論物理学者になるための道筋ができたということが、素直にうれしかったです。
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受験勉強が終わり、大学生へ
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