田原です。
最近、僕が考えていることは、
「起こったことは、起こるべくして起こったことだと捉えて、それは、自分の人生にとってどのような意味があるのだろうかと世界からのメッセージを読み解き、学んでいく。」
ということです。
自分にとって不本意なことというのは、よく起こります。
明らかに自分に原因があることもあるし、
そうではないこともあります。
自分の主体的な活動と、
外部の偶発的な変化のバランスの中で、
人生の旅が進んでいきます。
「自分の人生は、こうあるべき」
と考えていると、苦しいし、盲目的になるんですよね。
人間は、情報を得る段階で、重み付けをして選択しているので、
「こうあるべき」に関係のないものは、
視界に入らなくなってしまいます。
思った通りにいったときにも学びがあるし、
思った通りにいかなかったときも学びがあります。
全力で生きながら、
その結果を世界からのフィードバックとして受け取り、
また、全力で生きていく。
そうすると、大量生産された人生パッケージから選ぶのではない
その人らしい人生が、
形作られていくのではないかと思います。
序列化の順位によって、外部から意味を与えられるのではなく、
自分で自分の人生の意味を見いだしていくことができれば、
怖いものはなくなります。
うまくいっているときには、まっすぐ進めばいいし、
壁にぶつかったら、周りを見渡して突破口を見つければいい。
そうやって、あちこちに枝を伸ばしながら生命を躍動させ、
ふと振り返って自分の進んできた道を見てみて、
そこに意味を見いだすことができたら、
とても幸せなことではないかと思います。
まっすぐに伸びている枝よりも、
あちこちで折れ曲がっている枝のほうが、
意味を見いだすヒントに満ちています。
折れ曲がるたびに、
周りを見渡し、
世界に対して心を開き、
新たな視点を獲得することができるからです。
センター試験で不本意な点数をとり、
志望大学を変更した人もいると思います。
それが、どのような意味を持つのかは、
それをどのように受け止めて、
どのように枝を伸ばしていくのかによって決まることでしょう。
私たちの人生は、
何者かによって振り分けられるのではなく、
自分で道を作っていくものです。
いつからでも、
どこからでも、
新たな枝を伸ばすことはできるし、
道を作ることができます。
大切なのは、自分の人生の意味を自分で決めること。
これを、絶対に譲り渡さないこと。
それを死守できれば、
何があっても大丈夫だと思います。
ただただ、ベストを尽くしていこう。
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起こったことを受け止めて学んでいく
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