未来が突然に消え去ることがある。
東日本大震災は、それまでの日常を不可逆的に変化させてしまった。
どうやっても2011年3月11日前の自分には戻れない。
あの日までは、永遠に継続するように感じられていた世界が、突然消滅した。
物理を教えるということは、それが、予備校であっても、科学教育の一端を担っているということだ。そもそも自分は、科学に夢を抱き、人生の多くの時間を科学と科学教育に費やしてきたのだ。
だから、原発事故と、それを取り巻く組織の不健全さが辛かった。
これは、科学が核エネルギーというパンドラの箱を開けたときから、いつかは起こることが決まっていた事故なのではないかと思った。
科学者たちの多くが利権構造の中にがっちり取り込まれてしまっている状況を見るのも辛かった。科学者は、良心に従い、真理のために戦うヒーローであってほしかった。
これらを目の当たりにした後、どうやって平気な顔で物理を教え続けたらよいのか分からなくなった。
責任を取らない人たちばかりなのはなぜなのかと考えた。
「自分は、上からの命令に従っただけだ」
と、多くの人が考えていて、上から下へ命令が下りてくる社会に、自分たちは住んでいたことに気づいた。
責任を取らない人たちを育てる教育システムの中で、僕たちは育ってきたのだと思った。
スピーディーの結果が公開されなかったのは、なぜだったのだろうか?
その情報があれば、急いで避難したり、自宅に入って窓を閉め切ったりした人はたくさんいただろう。
人の命よりも、別の何かが優先されている事実を突きつけられたとき、国を頼るのはやめて、自分の身は自分で守らなくてはならないと思った。
親から自立したときと似た心の痛みがあった。
東日本大震災のときに辛かったことが、まだある。
それは、様々な状況の違いから多くの分断が生まれたことだ。
被害の状況の違い、支援格差、移住する人と残る人・・・
様々な違いが生まれたときに、自分のことについて話すことは、別の人のことを否定してしまうような気がしたりして、お互いが考えていることを口にせずに黙っってしまったケースが多かったのではないかと思う。
科学の価値、教育システム、安心感、人との繋がり・・・
こういったものが大きく揺らいだときにどうやって生きていけばよいのか?
混乱の中で話したいという強烈な欲求が生まれた。
他の人の話も聴きたかった。
みんなは、本当は、どんなことを考えているのか?
みんなは、本当は、どんなことを感じているのか?
それが知りたかった。
当時は気づいていなかったが、
オンラインのコミュニティ創りを始めた背景には、
そのような想いが潜んでいたと思う。
信頼できる人たちと繋がり、
対話を重ねていくうちに、
5年経ってようやく、
混乱の中から進むべき方向性が見えてきた。
健全な科学者コミュニティを作るためには、
健全な科学教育をしていくしかない。
真実を見据える科学リタラシー教育も
重要になってくる。
自分で考えて行動する教育に、
どのように変えていったらよいのか。
反転授業やアクティブラーニングは、
上から降りてくる管理の矢印を反転させていく可能性を持っている。
一人じゃ分からないことでも、
多くの人との知恵を集めて、
集合知を発生させていくスキルも大切だ。
そのためには、安心安全の場が大事。
そして、信頼関係で繋がったコミュニティーは、
一番のセーフティーネットになる。
安心安全の場での対話は、
かつては超えられなかった分断を乗り越えて
つながる力を持つ。
大きな組織に依存しなくても、
自分たちで生み出した集合知から
価値創造して収益を生み出し、
生きていく仕組みも必要だ。
5年間の学びにより、
いろんなものが繋がってきた。
東日本大震災の後の再生の物語の中を僕たちは生きている。
でも、それは、元に戻る物語ではない。
あの時に見ていた未来は、残念だけどもう戻ってこない。
だから、新しい未来を描く必要がある。
方向性は見えてきた。
自分の進む方向に、フィズヨビも連れていく。
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僕達は、東日本大震災後の世界に生きている
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