高校物理とか、受験物理とか、そういうものがあるわけではない。
物理学を、高校生や受験生が学んでいるだけだ。
物理学は、全世界共通のもので、過去から受け継いできた人類の知的財産の一つだ。
だから、それを、大学受験や学習指導要領などによって歪めてしまって、次の世代に伝えてはいけないと思う。
ものごとの大きさを間違えないように気をつけよう。
人類の叡智の継承こそが、物理教師の役割であり、それが達成されれば、受験なんて結果的にクリアできるのだということを自信を持って示していこう。
近代科学の父と呼ばれるガリレオ・ガリレイが生み出したのは、仮説を立てて検証すること。仮説を検証できる形に同値変形するために数学が使用された。
物理学を学ぶということは、本来、
・前例を批判的に理解し、疑問を持つこと。
・疑問を「問い」という形で表現すること。
・問いを検証する方法を考えること。
・実際に検証して考察すること。
・生まれてきた新たな疑問から問いを産み出すこと
ということである。
このようにして時代の検証に耐えてきた知識を継承するだけでなく、最も大事な「問いを持ち、検証していく」という物理学の精神を継承しなくては、物理学を学んだことにならない。
問いを自ら立てて検証していくことは、自分で考えて進んでいく力を育む。
抽象レベルと具体レベルとを往復しつつ、現象を捉えていく力を育む。
それは、複雑な状況を把握して、有効な考えを打ち出していく力に繋がる。
僕は、物理学を通して、これらのことを学び、身に着けてきた。
最近、「田原さんは、論理とイメージの両方をバランスよく使い、具体化もメタ化も自由自在にできる高機能カメラみたい」と言われた。
それは、過分な褒め言葉だと思うけれど、もし、その能力が身についてきたのだとしたら、それは、物理学のトレーニングのおかげだと思う。
物理学の精神とは、物事の根本原理を探し求めていくことだと思う。
その精神を曲げてはいけない。
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物理学で大切なのは、根源的なものについて自ら考える心
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